アラフォーになって「めんどい」が増えた。その正体は「ルートの精査」でした。

とうにアラフォー、そろそろ四十歳になります。
不惑とはいいますが、なかなかに、まどっています。

子どものころ、四十歳ほどの大人に対しては「全知全能!」みたいなイメージがありました。
けれど多くの大人たちの言うとおり、そんなことはないのですね。
幼稚性はいつまでも抜けないし、知らないことだってきっとたくさんあるのでしょう。

アラフォーになると、「めんどい」が増えますね。

とはいえ、「アラフォーだから」というだけで、めんどさが増えるわけではないようです。
というのも、わたしの場合は明らかに、人生経験と比例して「めんどくさい」が増えました。

離婚へ向かい始めたあたりから「被害者体質を脱したいな〜」と思うようになり、人間関係や振る舞い方を学び直すなかで、「これはめんどいから、いったんよけとこう」という事柄が見えるようになったのです。

とりわけ「終着点が見えないこと」「やみくもにムダな動きをすること」「大切にされない人間関係」が、とても面倒になりました。
おぼろげであってもゴールが見えないとダメですし、動く価値が担保されていなければ動き出せませんし、軽んじてくる人からはそっと離れます。

「全体的にめんどくさがりになった」のではなくて、「進むルートを精査するようになった」のほうが近そう。
と考えると、アラフォーのめんどいは、もしかしたら知恵のたまものなのかもしれません。

ムダの多い二十代を過ごしました。

二十代のころは、いまよりもはるかに幼稚で、日々「感情のまま、興味関心ごとへ猪突猛進」でした。
外の世界から受ける刺激が、なにより大切なものだったのです。
いまでこそ「ムダだな〜」と思えますが、当時は「成果はなかった。でも意味はあったよね!」と信じていました。

二十代も後半になれば、心がすこしずつ鈍感になってきます。
刺激に対して、それまでのように反応できなくなっていくことが不安だったけれど、いま思えばそう悪いことでもありませんでした。

心と体を動かす前に、その事柄を精査するようになったのだと、アラフォーのわたしは結論づけています。
老後や残り時間をリアルに感じているいま、人生において大切にしたいことが、シビアに絞られてきました。
もうここから先は、子どものことと自分のこと、そればかりを大切にしよう、と思うのです。

恋愛は、もういいです。

離婚してシンママになれば、また恋愛でもするのかな〜? なんて思っていましたが、こちらは大外れ。
良き縁があればうれしいけれど、自ら探しにいくことはしなくなりました。

もう長らく恋愛市場から退出しているし、気力体力も落ちてきたし。
ならばその少ないエネルギーは、自分だけの幸せに注ごう、と思うようになったのです。
そもそも恋愛って、ムダな動きを大量生産するテーマですしね。

昔は恋愛しないと生きていけないタイプでしたので、自分がこういう仕上がりになるとは予想外でした。
なにがあるか、どうなるか、というのは、本当に分からないものです。

離婚してシンママになって、わたしはかなり強くなりました。
自分自身を幸せにしてあげるスキルがついてきたので、ほどよく満たされてもいます。
この人生は、まあ悪くはないな。
この感じのまま、いけるところまで暮らしていけたらいいな、と願う日々です。

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